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東京高等裁判所 平成11年(行コ)103号 判決 2000年9月20日

控訴人 昊宇新

被控訴人 法務大臣 ほか一名

代理人 栗原壯太 鮫島俊治 ほか九名

主文

一  本件控訴をいずれも棄却する。

二  控訴費用は、控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一控訴の趣旨

一  原判決を取り消す。

二  被控訴人法務大臣が、控訴人に対し、平成八年一二月二六日付けでした出入国管理及び難民認定法四九条一項に基づく控訴人の異議申出は理由がない旨の裁決を取り消す。

三  被控訴人東京入国管理局主任審査官が、控訴人に対し、平成九年一月一四日付けでした退去強制令書発付処分を取り消す。

四  訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

第二事案の概要

一  本件は、退去強制手続において、出入国管理及び難民認定法(法)二四条四号ロ(在留期間経過)に該当すると認定された中国人である控訴人が、被控訴人法務大臣に対し、法四九条一項に基づく異議の申出をしたところ、平成八年一二月二六日付けで被控訴人法務大臣から異議の申出は理由がない旨の裁決(本件裁決)を受け、更に平成九年一月一四日付けで被控訴人東京入国管理局主任審査官(被控訴人主任審査官)から退去強制令書の発付処分(本件退令処分)を受けたが、控訴人は難民の地位に関する条約(難民条約)及び難民の地位に関する議定書(議定書)に規定する難民(難民)に該当し、かつ、本邦に在留した間の行状及び本邦における生活への適応力を有することから、法五〇条一項三号に規定する特別に在留を許可(在留特別許可)すべき事情がある等として、本件裁決及び本件退令処分の取消しを求めた事案である。

原審は、在留特別許可の許否の判断は、国益保持の見地から、国内外の諸般の事情を総合的に勘案して決する被控訴人法務大臣の広範な裁量的判断に委ねられており、在留特別許可の判断が違法となるのは、被控訴人法務大臣の判断が全く事実の基礎を欠き又は社会通念上著しく妥当性を欠くことが明らかであるなど、被控訴人法務大臣に与えられた裁量権の範囲を逸脱し、又はその裁量権を濫用した場合に限られるとした上で、本件において被控訴人法務大臣が裁量権を逸脱又は濫用した違法はなく、本件退令処分も適法であるとして、控訴人の請求をいずれも棄却したので、控訴人が控訴した。

二  「争いのない事実等」並びに「争点及び争点に関する当事者の主張」は、当審における控訴人の主張を次のとおり付加するほか、原判決の「事実及び理由」第三及び同第四に記載のとおりであるから、これを引用する。

(当審における控訴人の主張)

1 法務大臣の裁決の違法性判断基準

難民条約及び議定書は難民の要件を定め、締約国に対し難民の保護を義務づけており、難民を保護の対象にするかは入管法上の難民認定制度によるものであるが、法六一条の二第二項は、難民認定の申請は、原則として本邦に上陸した日(本邦にある間に難民となる事由が生じた者にあってはその事実を知った日)から六〇日以内にしなければならないという要件(六〇日要件)がある。これによると、迫害の危険の有無・深刻性とは無関係に、申請期間を徒過したという理由で、難民でありながら法上の難民認定が受けられない者が発生することが不可避である。日本は難民条約の締約国として六〇日要件により難民不認定としてしまった難民に対し保護を与える責務を負う。ところが、当該難民が退去強制手続の対象者に該当した場合、法六一条の二の八に規定する法務大臣の在留特別許可をしない裁決がされると主任審査官は退令発付につき裁量の自由を有しないとすれば、ノン・ルフールマン(不送還)の原則その他締約国の義務を果たすためには、法務大臣の在留特別許可により救済しなければならないのである。そうすると、在留特別許可制度の運用は、<1> 難民に該当するか否かを判断する、<2> 難民に該当する場合には、難民条約上の例外に該当する場合を除き在留特別許可をしなければならない(覊束行為)、<3> 難民に該当しない場合には、一般の事案と同様にその他の事情を考慮して在留特別許可をすべき事案か否かを判断する(裁量行為)となる。本件は六〇日要件で門前払された事案であり、在留特別許可によってのみ難民としての保護を受けうる状況であった。

原判決は右のような難民事案の特殊性を考慮せず、難民条約に違反し、ひいては憲法九八条二項に違反する。

2 難民該当性立証基準

難民該当性判断の方法や立証基準は難民条約の解釈問題に帰着する。難民条約の解釈は、条約法に関するウィーン条約(条約法条約)によって行われなければならず(同条約一条)、難民条約解釈の補足的手段(同条約三二条)としては、難民条約の場合には、一九五一年の全権会議の審議録のみならず国連難民高等弁務官(UNHCR)の見解も含まれる(難民条約三五条でUNHCRによる条約適用監督義務とそれに対する締約国の協力義務が定められている。)。UNHCRの「Handbook on the Procedures and Criteria for Determing Refugee Status」(ハンドブック)は解釈の補足的手段として参照されなければならないが、難民該当性の立証基準につき、ハンドブックは、「立証できない陳述が存在する場合においては、申請人の説明が信憑性を有すると思われるときは、反対の十分な理由がない限り、申請人には灰色の利益を与えられるべきである」(一九五頁)、その立証の程度に関連して「一般に、申請人の有する恐怖はその出身国での居住を継続すれば定義にあるような理由で申請人が耐え難いような状況になったであろうことを申請人が合理的な程度に立証すれば、十分に根拠があるとみなされるべきであろう。」(四二頁)との見解を示している。

原判決は右の見解を無視し、申請者側の灰色の利益を認めず、合理的な程度以上の立証を求めるものであり、難民条約、難民議定書違反の解釈である。

3 平等原則との関係

原判決は控訴人が指摘した劉啓浮のみ比較の対象とし、他の一一人との関係を検討していない。また、劉については、迫害の危険性において控訴人と類似の立場に立つが、迫害の危険性以外の事情において控訴人とは異なる環境も有する。そして、原判決が難民事案における在留特別許可の違法性判断方法を誤っているので、難民該当性だけの比較という作業が抜け落ちていて、平等原則の判断は前提を誤っている。

4 マンデート難民認定に基づく再考

UNHCR日本・韓国駐在事務所は、平成一一年一二月二日、控訴人を難民と認定した(マンデート難民)。このマンデート難民は、UNHCRが国連難民高等弁務官事務所規程に基づき保護の対象とする者を確定する趣旨で行っている認定である。このことから、控訴人が本国である中国に帰国すれば迫害を受ける危険があることが明らかになったもので、被控訴人の主張内容も原判決認定内容も根本から見直す必要がある。

なお、控訴人は、平成一二年六月の天安門事件一一周年記念行動で、在東京中国大使館前で抗議文を読み上げるなどの行動をし、民陣メンバーとして抗議集会を企画しこれに参加した。このことは、本件裁決及び退令発付時点での控訴人の活動内容を裏付けるものである。

5 本件退令処分の違法性

法五三条では送還先は必ずしも国籍国である必要はないとされ、どの国を送還先にして退令を発付するかの点で主任審査官独自の判断の余地が存するから、退令独自の違法性が想定できないとする被控訴人主任審査官の主張は失当である。

第三当裁判所の判断

当裁判所も、控訴人の本訴請求は、いずれも理由がないので棄却すべきものと判断する。その理由は、控訴人の当審における主張に対する判断を次のとおり付加するほか、原判決の「事実及び理由」第五に説示のとおりであるから、これを引用する。

一  控訴人の主張1について

控訴人は、法の定める六〇日要件により難民不認定とされた者であっても、六〇日要件以外の難民認定の要件を備えている場合(実質上の難民に当たる場合)には、不送還の原則その他難民条約に定める締約国の義務を果たすためには、裁量の余地なく在留特別許可をしなければならない旨主張する。

控訴人が六〇日要件の適用を受けて難民不認定とされた者であることは、当事者間に争いがないが、当裁判所も、控訴人が中国政府から刑事罰を含む迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するものと認めることはできず、したがって、実質上の難民にも当たらないと判断するものであるから、控訴人が実質上の難民に当たることを前提とする控訴人の前記主張は、採用することができない。

なお、退去強制を行う場合、どの地域を送還先に指定するかは、退去強制手続において別個に判断されることであり、法は、法務大臣が日本国の利益又は公安を著しく害すると認める場合を除き、送還先には、難民条約三三条一項に規程する領域(政治的意見のためにその生命又は自由が脅威にさらされるおそれのある領域)の属する国を含まないものとして、ノン・ルフールマンの原則の最終的な担保を図っているのである(五三条三項)。したがって、六〇日要件の適用を受けたため、実質上の難民でありながら難民認定を受けることができず、在留特別許可がされない者について、控訴人主張のような判断基準を採らないとしても、ノン・ルフールマンの原則に抵触するものではなく、控訴人の主張は採用することができない。

二  控訴人の主張2について

控訴人は、難民該当性の判断方法や立証基準は、難民条約の解釈問題に帰着するとし、難民該当性の立証基準についてはUNHCRの規程を補足的手段として参照しなければならない旨主張する。

条約の規定については、文脈により、かつ、その趣旨及び目的に照らして当てられる用語の通常の意味に従い誠実に解釈すべきであり(条約法条約三一条一項)、同条約三一条の規定の適用によって得られた解釈の意味を確認したり、同条の規定による解釈によっては意味があいまい又は不明確である場合とか、同条の規定による解釈により明らかに常識に反した又は不合理な結果がもたらされる場合には、解釈の補足的手段として、条約の準備作業及び条約の締結の際の事情に依拠することができる(同条約三二条)が、難民条約一条及び難民議定書一条に規定する「難民」の文言については、右に説示した補足的手段を用いるまでもなく解釈することができ、補足的手段を講じて解釈の意味を確認するなどの必要性はないというべきである。そして、難民条約及び難民議定書には、難民認定に関する立証責任や立証の程度に関する規定はないから、難民該当性の立証基準に関するUNHCRの規定を補足的手段として参照すべき必然性はない。なお、証拠(<略>)によれば、ハンドブックはUNHCRの難民条約発効以来二五年間以上にわたってUNHCRによって蓄積された知識に基づくものであり、右補足的手段には当たらないというべきである。

したがって、控訴人の前記主張は、採用することができない。

三  控訴人の主張3について

控訴人は他の活動家との比較における平等原則違反をいうが、引用した原判決の説示するとおり、在留特別許可は、当該運動への関与の仕方、個別の事情等をその都度総合的に判断してされるものであって、被控訴人法務大臣は、当該運動に関与した者すべてに対し、同様の在留資格を付与すべき義務を負うものではない。しかも、控訴人が最も状況が類似すると主張する劉と比較して検討した結果でも、引用した原判決の認定判断のとおり事情が異なるのであるから、それ以上に類似性の低い者と比較するまでの必要はないものというべきである。したがって、この点に関する控訴人の主張は採用することができない。

四  控訴人の主張4について

控訴人は、UNHCR日本・韓国駐在事務所は、平成一一年一二月二日、控訴人を難民と認定した(マンデート難民)ところ、マンデート難民はUNHCRが国連難民高等弁務官事務所規程に基づき保護の対象とする者を確定する趣旨で行っている認定であるから、控訴人が本国である中国に帰国すれば迫害を受ける危険があることが明らかになったものであり、被控訴人の主張内容も原判決認定内容も根本から見直す必要がある旨主張する。

証拠(<略>)によれば、控訴人が、UNHCRからマンデート難民の認定を受けたことが認められるところ、<1> UNHCRは、UNHCR事務所規程所定の責務(マンデート)に基づき、家族との再会、自主帰還、第三国定住あるいは種々の物的支援などの各種保護を与える前提として、独自に「難民」認定を実施しており、UNHCRによって認定される「難民」は、「条約難民の申請が不認定処分になった人でも、マンデート難民と認定されることがある」(<証拠略>)とされるように、難民条約所定の保護を与えることを目的とする締約国による難民認定とは目的・対象を異にし、条約難民とほぼ同様に定義されている規程六項にいう難民のみではなく、規程が採択された後に「高等弁務官の関心の対象となる者」として、国際連合総会及び経済社会理事会の決議中に反映された難民的状態に置かれた他の部類の者についても、認定の対象としていること、<2> この「高等弁務官の関心の対象となる者」の概念は、世界各国の様々な事件の発生に伴い、一九五一年のUNHCR事務所規程に定められている定義の範囲を超えて変化し、今日では大規模な難民の集団移動において個別の認定審査が不可能な場合に考慮される「一応の難民」、厳密には難民の条件を満たしていなくとも本国の事情により難民に類似した状況に置かれた者を援助・保護するための「避難民」、難民にも難民に類似した避難民にも当たらないが人道支援の必要がある国内避難民などもUNHCRの難民認定の対象となっていること、<3> UNHCRが控訴人を難民と認定した根拠は、難民条約一条A(2)とほぼ同内容の事務所規程六条(A)(ⅱ)の難民の定義によるものであること、<4> UNHCRは、平成九年から、控訴人が難民に該当するとの見解を法務省に示してきたこと、<5> UNHCRが、難民条約の加盟国が難民認定をしなかった場合に調査を実施する主な理由は、難民条約三三条のルフールマン(自由を奪われる恐れがある国に難民を送還すること)を事前に防止することにあり、マンデート難民は迫害を受けるおそれのある国に送還されないようUNHCRにより保護されるものであること、<6> マンデート難民の認定は、加盟国に難民であることを認めるよう求めるものではないこと、以上の事実が認められ、右の事実からすれば、ほぼ同内容の難民条約及びUNHCR事務所規程を前提にしても、加盟国とUNHCRとで、難民該当性の判断自体が食い違うことも十分にあり得ることというべきである。

そして、本件全証拠によっても、UNHCRの判断資料が本件裁決におけるそれと同様のものであるか否か明らかではないのであるから、UNHCRが難民として認定したことから、直ちに被控訴人法務大臣の判断に根本から見直すべき問題点があるいうことはできないというべきである。

証拠<略>によれば、控訴人は、現在もなお民主化運動に従事していることが認められるが、このことを考慮しても、なお引用した原判決認定のような事情、特に控訴人の活動が本邦内に止まっていることを考慮すれば、控訴人が迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するものと認めるには足りず、本件裁決において被控訴人法務大臣が裁量権を逸脱又は濫用したということを認めることはできない。

五  控訴人の主張5について

控訴人は、法五三条では送還先は必ずしも国籍国である必要はないとされ、どの国を送還先にした退令を発付するかの点で主任審査官独自の判断の余地が存するから、退令独自の違法性が想定できないという被控訴人主任審査官の主張は失当である旨主張する。

この点については、確かに退令の独自の違法性はあり得るものと解されるが、既に説示したところによれば、本件退令発付における被控訴人主任審査官の判断に違法はないというべきである。

よって、右と同旨の原判決は相当であり、本件控訴は理由がないから棄却することとして、主文のとおり判決する。

(裁判官 瀬戸正義 井上稔 河野泰義)

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